二人で並んで歩いているとイザークは隣のフレイがかたかた震えているのに気がついた。
雨で濡れた服はずっしりと重く、肌に張り付く。
「寒いのか?」
頭の上から聞こえてきた声にフレイは黙って少し頷いた。
「服びしょぬれだな。さっき袖破いてしまったし新しい服を買おう。」
イザークはきょろきょろと店を探し始めた。
「別にいいわよ、貴方にそんな義理はないわ。」
「どこがいいかな・・・」
「ちょっと!聞いてるの!?
私はそんなことしてもらわなくてもいいって・・・くしゅっ」
イザークはくしゃみをしたフレイをちらりと見てふっと笑った。
「ほら、そのままだと風邪引くぞ
あそこがいいな、行くぞ。」
「ちょっと待っ・・・」
イザークは有無を言わせない強さでフレイの腕を掴み引っ張っていく。
「いらっしゃいませ。」
「こいつに似合う服を一式揃えて着せてやってくれ。」
「はい、かしこまりました。」
「あの、私は・・・」
店員は有無を言わせずフレイをずるずると引きずっていく。
「ふ〜」
フレイが奥の方で服を選んで貰っているのを見てイザークはため息を吐いた。
フレイを知らないことになっている自分がここまでするのはおかしいことだろうか。
でも、これ以上寒そうにしているフレイを見るのは忍びなかった。
それに何か自分が彼女にしてあげられることをしたいと思ったことは事実だ。
例えそれが自己満足であっても。
あの時してあげられなかったことを少しでもしたかった。
フレイは沢山ある服の前で次々に持ってこられる服をぼんやり見ていた。
何でこんなに優しくしてくれるのだろうか。
彼はじぶんにとってどんな存在なのか。
―あの人、私が忘れていると知ってすっごく辛そうな顔をしていた。―
「これがいいですね。多分すっごくお似合いですよ。ささ、試着してみて下さい。」
フレイは店員に試着室に押し込められた。
淡い桃色のワンピースと白いカーディガン。
「うわー可愛い!でも高いわ、これ・・・」
店員のしたたかさに若干呆れながらもフレイはそれに袖を通してみることにした。
着てみると自分の髪の色に良く似合っているような気がした。
「着替え終わりましたか?」
「はい。」
カーテンを開けて店員は大げさに驚いた。
「うわ〜すっごい良く似合ってますね!」
「あ、そうですか?」
「彼氏さんに見せましょうよ!」
「え・・・彼氏なんかじゃ・・・」
「素敵な方ですね。カッコいいし、優しそう。」
「・・・」
他人から見たら私はデートで服を彼氏と一緒に買いにきたように見えるのだろう。
満更悪い気はしなかったが、少し複雑な気がした。
「どうぞどうぞ。」
店員がイザークを連れてくる。
「どうかな?」
少し恥ずかしい気もしたが何となく聞いてみる。
「・・・これ全部買わせてもらう。」
「毎度アリ〜!」
イザークがポケットからおもむろに財布を出すのを見てフレイは思わず声を掛けた。
「あ、私が買うわ。」
「いいんだ、これくらいさせてくれ。」
そう言うとさっさと会計に行ってしまった。
―結局買ってもらっちゃった。―
その後ろ姿をみてため息を吐く。
本当の所少し嬉しかった。
私は全然知らない、思い出せもしない。
それなのにこんなに親切にしてくれる。
もし、彼が本当に自分と知り合いだったとしたらきっと仲が良かったのだろう。
少なくとも嫌いあっていたとかそういうことはないだろう。
でも、何も思い出せない。
さっきから何度も思い出そうと試みているが頭が痛くなってどうしても駄目だった。
無意識のうちに思い出すのにセーブが掛かっているのであろうか。
そういえば彼についてさっきから一緒にいるのに何も聞いていない。
名前さえもまだ知らない。
―服のお礼しなきゃなんないし名前と連絡先くらい聞いてもいいわよね。
でも、教えてくれるかしら・・・―
ちょうどイザークは会計を終えて戻ってくる所だった。
店を出てきたイザークに勇気を出して近寄ってみる。
「ありがとう。」
突然のお礼の言葉にイザークは一瞬びくっとなったがすぐに冷静な顔に戻った。
「いや、俺がこんな風にしたから。」
イザークはフレイが着ていた服が入った袋をすっと上げて見せた。
「あ、それ私が持つわ。」
「いや、駅まで俺が持っていくよ。」
「ごめん、持たせちゃって」
そこで会話が途切れる。
―今が、チャンスだわ。―
「あの・・・」
「何だ?」
「貴方の、名前とか教えて欲しいの。」
「名前?」
「ほら、こんなに親切にしてもらったのに何も貴方のこと知らないから・・・」
「親切にした覚えなどない。」
「でも、服、買ってもらっちゃったし。」
「こんな物たいした物じゃない。」
「でも、結構高かったでしょう?」
「まあな、女の服とはこんなに高い物なのか?」
「あの、店員さん絶対高いの選んでたわ。」
「そうか。」
二人で、顔を見合わせてふふっと笑いあう。
「俺の名はイザークだ。」
唐突にイザークは言った。
「イザーク?」
首を少しかしげてフレイが聞き返す。
―ああ、懐かしい。フレイが俺の名を呼んでいる。―
喜びで涙が出そうになる。
しかし、これは望んではいけないこと。
フレイのために。
自分の本名など言わないで偽名を使ったほうが良かったのだろうか。
しかし、さっきは反射的に自分の名前を言ってしまった。
前はほとんど見ることのできなかったフレイの笑顔を見れたからだろうか。
―幸せなんだな。こんなに普通に笑うことができるようになったなんて。―
イザークはほっとした。
―俺がいなくてもフレイは幸せに生きていける。―
ほっとしたと同時に少し悲しい気もする。
しかし、フレイが幸せでいてくれることが何よりだ。
自分のことを思い出してもらいたい、
しかしフレイの幸せのためには自分など初めから存在しなかったとした方がいい。
心の中でせめぎ合う二つの思い。
―あいつの幸せを願っているはずなのにまだこんなに固執しているなんてな。―
一番の願いはフレイの幸せ。
でも二番目はそれと拮抗する願い。
この笑顔を俺だけに向けていて欲しい。
ずっと一緒にいたい。
どちらを取るかは最初から決まっていたはずだ。
だが、心の中ではまだ葛藤が続いている。
もし叶うならこの時間がずっと続けばいいのに。
しかし無情にも幸せな時は終わりを告げた。
「もうすぐ駅に着く。」
「あの、せめて貴方の連絡先くらい教えて。」
「どうせ、この街には長い間居る訳ではない。すぐに他の場所に移動するから教えられない。」
「そう・・・」
フレイは大人しく引き下がってくれたようだ。
長い間いないというのは本当のことだった。
多くてもあと四、五日だろう。
少しの沈黙の後再びフレイが口を開いた。
「あの、貴方が探している人って誰なの?」
「・・・」
「ほら、私に似てるって言ってたでしょう?」
「そいつは・・・本当に弱くて俺が守らなきゃいけなかったのに守りきれなかった。
だから、次にそいつと会ったときは俺が必ず幸せにしてみせるって誓ったんだ。」
「その人に早く会えるといいわね。」
「・・・ああ。」
イザークは少しの間逡巡して短く返事をした。
―その人とはお前のことだと言いそうになるなんて・・・
往生際悪いとはこのことだ。
くそっ!―
―やっぱりこの人何か隠している。だって、何か躊躇ってたもん。
私がその人、なのかな?―
二人がそれぞれ考えを巡らせていると後ろからフレイを呼ぶ声が聞こえた。
「ちょっと!フレイ!!どこ行ってたのよ!」
「あっ!みんな!」
「心配したんだからね!全く!」
「ごめんごめん!道に迷っててそれでこの人に送ってもらったのよ。」
「この人って誰?」
「あ、あれ?いない・・・?」
今まで見ていた青年は幻だったのか。
フレイの着替えが入った袋だけが無造作に放置されているだけで肝心の青年の姿が見当たらない。
「おっかしいな〜さっきまでそこに・・・」
フレイがきょろきょろと辺りを見回しているのをイザークはすぐ傍の木陰で見ていた。
―幸せに、なれよ。―
そしてイザークはフレイにかすかに微笑みかけると雑踏の中に姿を消した。